日本と海外におけるイノベーションの違いとその原因

日本と海外におけるイノベーションの違いとその原因

 最近、IT関連の話題において、日本ではイノベーションが起きにくく、新しい企業が出てこない(出にくい)と言われている。
 確かに深圳やシリコンバレーなどのIT企業洗脳ツアーを体験してみると、日本の技術の方が優れてる箇所も多いのに、なんだか周回遅れな感じを受けてしまう場面は多々ある。
 そこで自分が体験・経験した知見から、日本と海外でのイノベーションの違いを述べてみたいと思う。

 


 まず、文化や風土の違いはもちろんあるだろうが、問題を解決するためのアプローチとして、日本的なイノベーションと海外的なイノベーションを抽象的に比較すると下記図の様な感じだ。

  

日本と海外におけるイノベーションの違い
日本と海外におけるイノベーションの違い

 日本的な考えは、□は□として捉え、その形を変えることなく如何にして運び易くするか、そして運ぶ仕組みを作るかを考え、これらの実現に注力し、海外的な考えでは「別に形変えてもいいよね。転がした方が楽だし。届く届く」と言う具合に、物が届けばOKという一点に対して注力する。

  

 この様に、日本では問題となる事象の改善や改良を継続的に実施していくため、この場合で言えば小型化への技術革新、それらを輸送する技術など、個々の技術は優れていく事となるが、□は決して〇にはならない。
 そのため次のイノベーションもこの中でしか発生せず、より研ぎ澄まされた技術や過剰サービスへと突き進み、その結果、まるでナイフリッジのような一瞬の油断も許されない環境が生まれ、労働者はその過酷な環境に身を置くことになる。

  


 では、なぜ日本では□を〇に出来ないかだが、おそらく□を〇に変えようという考え自体は出てきているのだが、「□を〇に変えるための規制(法的規制、社内ルール、クレームなど)が多すぎる」ため日本では、新しい形への変更は実施されないと考える。
 その点、海外では規制が緩く(日本ではあれはダメ、これはダメ。海外ではこれをしない限りはOK。いわゆるネガティブリストとポジティブリストの違い)、これらの規制が緩い地域では、報酬を求めチャレンジする者が多くなり、その中からいくつかの有望なベンチャー企業が生まれる仕組みへと繋がっているのである。

  


 日本では、革新的イノベーションを求める手段としてチャレンジ精神を掲げる企業も存在するが、このチャレンジ精神とは企業が求める内容(範囲)に対してのチャレンジであり、決められた枠を超えての革新的イノベーションはこの状況からでは発生しないと考える。

 日本に必要なのは、新しい考えを許すための規制緩和とチャレンジが失敗しても許してくれる環境なのかもしれない。


 最後に、昨今コロナの影響でテレワークが増えているが、このテレワークに対して妙な日本的イノベーション(役職順に並ぶWeb会議システムとか)が誕生しないように心掛けたいものである。